この記事の内容
本記事では、2025年3月28日にミャンマー・タイで発生した大地震について、筆者が実際に体験した5時間にわたる避難・封鎖・脱水・帰還までのリアルな記録をお届けします。
タイでは地震が少ないと思われがちですが、今回のような“都市部での封鎖”や“情報の少なさ”は、在住者・旅行者問わず大きな課題となります。
この記事では以下の内容を記録・解説しています:
- コンドミニアム封鎖時の現実的な困難(熱中症、腰痛、孤立など)
- 屋外避難中に感じた文化の違いや心理的ストレス
- 自力で非常口から帰還した一連の流れ
- 今後の備えとして必要なこと(持ち物・心構え・英語対応など)
体験に基づいた記録として、現地での対応に悩む方の参考になれば幸いです。
記事の信憑性
筆者はタイ・バンコク在住の日本人男性(単身)、現地で生活しています。
地震発生時はオンヌットの高層コンドミニアムから数分のマーケットを歩行。当日5時間以上にわたって建物外で過ごしました。
記事内に記載している情報はすべて当日のリアルな記録と観察、実際の行動に基づいています。
この記事が「タイ 地震」に関する正確かつ当事者目線の情報として役立つことを目指しています。
2025年3月28日、バンコクで地震発生
日本人がバンコクで地震に遭遇するという衝撃
2025年3月29日、私はバンコク・オンヌットにあるクリニックへ向かう途中でした。
マーケットの細道を歩いているとき、突然ふわっと体が浮くような感覚がありました。
最初は、薬の副作用か、あるいは更年期障害による目眩かと思いました。
タイの暑さで体調を崩したのかもしれないと感じつつも、なんとなくその感覚が違うことに気づきました。
足元がゆっくりと揺れ、その揺れが数秒続いたのです。
「これは、地震かもしれない」
そう思いながらスマートフォンを確認すると、
速報で「ミャンマーでマグニチュード7.7の地震発生」と出ていました。
SNSを開くと、「バンコク 揺れた」といった投稿が次々と流れてきて、
自分だけではなく、多くの人が同じ揺れを感じていたことが分かりました。
日本では地震に慣れているつもりでしたが、
「まさかバンコクで地震を体験することになるとは…」と、強く驚きを覚えました。
建物の中には入れず、コンドの中庭で避難
揺れを感じた直後は、目眩や体調不良かもしれないと自分の身体の変化に意識が向いていました。
しかし、その考えが間違いだったことに気づいたのは、Big C(スーパー)のスタッフたちが次々と店の外へ飛び出してきた光景を見たときです。
「これは、ただの目眩じゃない。確かに何かが起きている」
そう確信した瞬間でした。
現場は混乱しながらも不思議な静けさがあり、
悲鳴を上げて逃げる人もいれば、なぜか笑っている人もいて、反応は本当にさまざまでした。

でも、その混沌とした中で、自然と人々が建物の外に集まりはじめ、人の輪ができていくのを見て、
「これは普通ではない」と強く実感しました。
私は迷わず人の流れに従い、その場を離れてコンドミニアムの中庭へ避難することにしました。
屋外に避難してからの“5時間戦争”
建物が封鎖され、戻れなくなる
避難してしばらくすると、コンドミニアムの建物は完全に封鎖されました。
非常階段の扉は閉じられ、エレベーターもすべて停止。
自分の部屋が目の前にあるのに、そこへ戻ることすらできなくなったのです。
屋外の広場には、住人と思われる人たちが少しずつ集まってきました。
その中でも印象的だったのは、欧米系の人たちの行動でした。

彼らは自然とグループを作り、お互いに声をかけ合いながら情報を交換していました。
「Did you feel that?」
「I’ve never experienced an earthquake in Bangkok before」
といった会話が飛び交い、不安の中でも“つながり”を求めているように見えました。
一方で、日本人らしき人たちは、ポツンと1人でスマホを見ている姿が多く、
声をかけたり、助けを求めることを避けるような空気感がありました。

私自身もその一人で、誰にも話しかけられず、
ただ静かに時間が過ぎるのを待つしかありませんでした。
しかも、周囲には座れる場所も少なく、トイレも使えない状態。
自販機も止まっており、「水がない」「座れない」「トイレに行けない」という、
地味に厳しい状況がじわじわと心身を削っていきました。
腰痛と脱水で精神も削られる
長時間、屋外で立ちっぱなしの状態が続くと、
過去に痛めた腰が徐々に悲鳴を上げ始めました。
普段であれば座って休めるのですが、地面は固くて汚れており、
腰の痛みで地べたに座ることすらできません。
また、建物内の自販機「Taobin」も停止しており、
水分を買うことができない状況が続きました。
外に買いに出ようとしても、近くのBig Cは閉店。
開いている店が見当たらず、飲み物も食べ物も手に入らないという事態に。
最終的には、
「今日はラマダンだと思って耐えよう」と、
自分に言い聞かせてなんとか気持ちを落ち着かせていました。
「非常時に、文化や価値観がむき出しになる」と感じた瞬間
避難中に強く感じたのは、
非常時になると、人間の価値観や文化的な反応がそのまま現れるということでした。
欧米人たちは、見ず知らずの人にも気軽に声をかけ、
「Where are you from?」や「Is this your first earthquake?」など、
自然にコミュニケーションをとっていました。
彼らの中では、“話すこと=安心を分かち合う行為”として根付いているのだと感じました。
一方で、日本人はどうしても言葉を飲み込み、距離を取ってしまう傾向が強く、
その場にいた日本人らしき人たちも、私を含めて、
「静かにスマホを見ながら立ち尽くしている」という状況が続いていました。
でも、そんな中で気づいたこともあります。
孤立していても、無理に輪に入らなくても、
“ひとりでいられること”もまた、ひとつの強さなのかもしれないということです。
孤独と静けさの中で、淡々と時間を過ごす。
それもまた、私たちの文化的なサバイバルスタイルなのかもしれません。
ついに帰還、そしてサバイバルの終わり
Taobinが起動し、建物に命が戻る
日も傾き始め、時間はすでに夕方。
5時間以上が経過し、さすがに疲労も限界に近づいていました。
そんなとき、ふと目に入ったのは、
止まっていた自販機「Taobin」が再起動している光景でした。
「ピッ」と光がついた瞬間、まるで都市が息を吹き返したような気がしました。
冷たい飲み物が手に入るというだけで、これほどの安堵感を覚えるとは思いませんでした。
建物のエントランスはまだ封鎖されていましたが、
しばらくすると、住人の一部が非常階段の扉から中へ入っていくのが見えました。
管理側からの明確なアナウンスはありませんでしたが、
それはまるで、“サイレント帰還OK”のサインのようでした。
私も静かに、何事もなかったかのようにその流れに続きました。
扉の中に入ったときのひんやりとした空気に、心から安堵しました。
ついに、帰ってきたのです。
日本酒、サーモン皮のスナック、欧風弁当で乾杯
部屋に戻ってまずしたことは、エアコンのスイッチを入れることでした。
冷たい風が部屋に流れ込んできた瞬間、
「生き延びたな…」と、全身が脱力するような感覚に包まれました。
すぐに近くのTOPS Marketへ向かい、
日本酒、サーモンの皮スナック、そして欧風弁当を購入しました。
これ以上ないご褒美です。
部屋のテーブルにそれらを並べて、静かに一人で乾杯しました。
エアコンの冷風、日本酒の香り、そして脂が効いたサーモンの皮。
「今日は都市型サバイバルを制した王者だ」
そんな言葉が自然と頭に浮かびました。
ちなみに、サーモンの皮にDHAが含まれているのかがふと気になり、
調べてみると、確かに多少は含まれているようですが、
スナック加工の過程でその多くは失われるそうです。
でも、この夜ばかりは栄養なんてどうでもよくて、
ただただ無事に今日を終えられたことに、静かに感謝しました。
今回の地震体験で学んだ5つのこと
今回のバンコク地震は、たった数十秒の揺れで、5時間以上のサバイバルを引き起こしました。
日本のように地震に慣れていないタイだからこそ、想定外のことが次々と起こります。
そんな中で、私が個人的に学んだ「備えておくべきこと」を5つまとめました。
① 水・スナックは常にカバンに
想像以上に水が手に入らず、本当に喉が渇きました。
小さなペットボトルと軽食を常備しておくだけで、生き延びやすくなります。
② モバイルバッテリーは命綱
情報収集も、連絡も、ライトの代わりも、すべてスマホです。
バッテリーが切れた瞬間に“現代人の視界”は奪われます。
③ 腰痛持ちは立ちっぱなしを想定すべき
長時間立ち続ける避難状況は、腰にとっては拷問のような時間でした。
折りたたみの座布団や軽量スツールがあると、かなり助かると思います。
④ 非常時のための英語フレーズを準備する
「Where can I get water?」「Is it safe to go back in?」など、
シンプルな英語でも準備しておけば、困ったときに人とつながれます。
⑤ “一言話しかける力”が、サバイバル力を変える
言葉が話せなくても、表情でも身振りでも、
「ちょっとしたつながり」があるだけで、不安はずっと軽くなります。
「Are you okay?」の一言だけでも、世界が変わるのだと感じました。
まとめ|タイで生きるすべての人へ
今回の体験を通して、私はひとつの事実を実感しました。
それは、「タイでも災害は起きる」ということです。
そして、災害が起きたとき、
「日本人だから」「海外だから」といった枠を超えて、
自分自身の命と心を守るために“柔軟に動く力”が必要だと感じました。
遠慮や気配りだけでなく、時には
「助けて」や「疲れた」と言える勇気も大切です。
私はこの出来事を通じて、文化の違い、人の反応、自分自身の弱さと強さを、静かに見つめ直すことができました。
もしこの記事が、同じような状況にいる誰かの判断や安心につながるのであれば、
この経験は無駄ではなかったと、心から思えます。